傾国の姫君

 

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勇姿9 世界を舞台に私を捕まえてごらんなさい


 

長かった国葬を終え、私はやっと魔国へと帰って来ることができた。

「やっぱり我が家が一番落ち着くわね〜」

何だかんだで一週間もエルネスタに居たんだもん、あの国の賑やかな雰囲気もいいけど、やっぱり魔国の濃い緑の空気は美味しいわ。

背伸びをしてから言う私に、アルヴィアがくすりと笑った。

えっ? なに? 何か変なこと言っちゃった?

「姫様は既に魔国を我が国と思われているのですね」

振り向いた私に優しく微笑みながら、アルヴィアが普段着のドレスを渡してくれた。窮屈だった喪服を早く脱ぎたくて早速着替え始める。

「うん……だって初めの想像とは全然違うんですもの」

人間が住めない地の果ての辺境に、神竜と契約を交わしたトカゲのような生物が住む不気味な場所……だったっけ?

全然違うじゃないって、着いたその日に思ったんだっけ……。

実際に暮らしてみた魔国は想像以上に心地良かった。空気も食べ物も美味しいし、お城の人達も明るくて優しくて、とっても良くしてくれている。

初めは戸惑ったけど竜にも乗れるようになったし、大空を自由に飛ぶ気分は最高よ。閉ざされた生活をしてきた私にとって、本当に目の覚めるような変化だわ。

「姫様は……この国に来てお幸せ……ですか?」

着替え終わった私に、アルヴィアが聞きにくそうに尋ねてきた。

……この顔を見ても分からない?

「初めは嫌々だったけど、今となっては父様からの最期のプレゼントだと思ってる。まだ幸せかどうかなんてよく分からないけど、エルネスタに居たら分からなかった事を沢山知ることができた。だからここに来たことは間違いじゃなかったって思ってるわ」

そう言ったらアルヴィアがふわりと笑った。

私が幸せだとあなたが幸せそうに見えるの、私が泣くとあなたも一緒に泣くんだわ。ありがとうアルヴィア。そしてここには一緒に戦ってくれる人達もいる。私が今、幸せじゃないわけないじゃない……。

改めて思い浮かべて涙が出そうになったその時に、グレイムさんがノックと共に静かにやって来た。

「母国とはいえ長旅お疲れ様でした。お茶をご用意いたしましたのでどうぞこちらへ」

 

案内されるがまま付いてきた場所は、午後の日差しを浴びた暖かなテラスだった。

そこには既にライナスの姿があり、後ろにはガイルも控えている。

「お疲れを取るには甘い物が宜しいかと……」

そう言って出された、焼きたてのふっくらとしたアップルパイの甘い香りと、爽やかな気持ちのいい風が、柔らかく私達を包んでくれる。

「疲れてはないか? 今日は沢山食べて早めに休むといい」

気遣ってくれたライナス自身は甘い物は苦手なのかしら? 一向に手を出さないわ。でも遠慮しながら一口頬張ったパイはサクッとしてて最高に美味しかった。

「ライナス、あのね」

もぐもぐと食べながらで悪いんだけど、私は話を続けた。だって美味しすぎて手が止まらないんだもの。

「なんだ?」

「うん……ありがとね……」

温かい紅茶で流し込みながら続ける。

「あの国のこと……巻き込んじゃって、迷惑掛けちゃったなぁって」

「妻の郷は俺の郷、当然だ」

うっ……。

平然と断言されてパイが喉に詰まるかと思った。ライナスって最近この言葉を連発してるわよね。

「つま……」

「妻だろう」

「妻……よねぇ……」

なんだ? とライナスが眉を潜めた。一気に不機嫌そうになっちゃった。

「……まだ無理矢理に嫁がされた事を根に持ってるのか?」

「え……そうじゃないけど……」

歯切れが悪い私に向かってライナスが溜息を吐いた。そんな顔しなくったっていいじゃない、突然「妻」とか言われたってすぐに自覚なんてできないわよ。

「……では何だ」

「……実を言うと初めは嫌だったんだけど、もう今は後悔してないし、この国ことを気に入ってるわ。でもまだ出会ってひと月くらいの人が夫という感覚は……」

持てないわよ、と言おうとしたの。

「では実感出来れば良いんだな?」

「????」

ライナスは口の端っこで笑ったけど、私には何のことだか分からなかった。今度は何で急に機嫌が良くなったのかしら? 男の人って本当に分からないわ。

謎だらけの会話に混乱していると周りから溜息が聞こえた。

「え?」

焦って振り返ったアルヴィアも、ライナスの向こうに立っているガイルも、微笑みながら呆れたような顔をしている。なんなのよっ感じ悪いわねっ!

だって今までで会ったことがある男性なんて父様とヴァルダー、あとは塔の番人だけだったんだもん。なのに、突然結婚してそのまま妻とか夫とか……感覚が追い付かなくても仕方ないじゃないっ。しかもこんな謎々みたいな会話なんてよっぽど分からないわよっ!

「……姫様お茶のお代わりです」

鼻息が荒くなった私を気遣ってか、アルヴィアが温かい紅茶を注ぎ足してくれた。なんだか半分困ったような顔に見えるのは気のせいかしら?

「……お話中ですが、宜しいですか?」

今まで黙っていたガイルが気を取り直したように一歩近付いてきた。

「……なんだ?」

「先のエルネスタの件で、今まで人間と係わりを持たなかったこの国が、実際には動くのだということが知れ渡ってしまいました」

「……そうだな」

不機嫌そうにライナスが一口コーヒーを啜った。

「姫様がこの国に嫁がれたのは最早周知のこと、その姫に係ることで魔国が動くことを知ったとなると……」

目の前のライナスから深い溜息が漏れた。

「そうだな、武力を欲しがる国々がこいつを狙ってくるかも知れんな」

「な……!」

急な話に驚いて言葉が出なかった。

「エルネスタでお前を人質にし、俺に竜を追い払えと言った者が居ただろう」

「あ……」

今度は思い当たって息が詰まった。

「姫君が魔国の王子の寵妃だと知ったとなると……」

「……皆がこいつを欲し、奪いに来るかも知れんな」

そんな……。

私は思いも寄らなかったことを告げられて愕然とした。

「姫様の身辺警護を強化いたしましょうか?」

「ちょっと待ってよアルヴィア! やっと自由に出られるようになったのよ? なのにまた閉じ込められちゃうの!?」

気が付いたらアルヴィアに向かって叫んでいた。

「そんなの嫌よっ!」

「姫様……」

困ったような顔をしたアルヴィア。ごめんね、でも……。

「ライナスっ、前に私はもう守られるだけの姫じゃないって言ったわよねっ!?」

私は必死になってライナスの顔を見詰めた。

「もう閉じ込められて守られるだけの存在には戻りたくないのっ! 国々が私を攫おうとするなら私は全力で戦うわっ! だからっ……」

もう暗い塀の中に閉じ込められるのは嫌っ!

自然の空気の美味しさも、広がる景色の美しさも、人々との触れ合いの楽しさも知った後で、また閉じ込められるなんて耐えられないわっ!

それでも無理矢理に攫おうとするなら、世界を舞台に私を捕まえてご覧なさいよっ! 私は絶対に屈しないわ、やっと手に入れたこの自由を守るためなら、命を懸けて戦うんだからっ!

「……この国を見くびるな、俺はお前を閉じ込めるために妻にした訳ではない」

残り少ないコーヒーを飲み干してライナスが言った。

「お前は今までと変わらず好きなようにしていればいい。この国の竜騎士達は最強だ。この領土を他国が侵すなど出来る訳がない」

「でもっ……」

静かに語るライナスには自信を感じるけど、私は不安で堪らなかった。閉じ込められるのも国が襲われて焼かれるのも、もうたくさんだわっ!

「……信用できない……という顔だな、では明日軍の演習風景を見せてやろう」

え……?

「王子は魔王軍の総括をなさっているのですよ」

ふわりと説明してくれたガイルにも余裕を感じるけど……。

「誰であろうとお前には指一本触れさせはしない。だから安心しろ」

余裕たっぷりにそう言って立ち上がったライナスを、私はこれ以上引き止めることは出来なかった。


 

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