傾国の姫君

 

[HOME] [TOP] [BACK] [NEXT]

 

しるし5-2 視界が広い


 

泣かないで……ください……。

「!」

誰なのっ!? 泣き叫ぶ私の心に直接響く、優しいけれど寂しそうな落ち着いた女性の声。

バサッ……その直後一陣の風と共に大きな羽音が聞こえてきた。この感覚は……。

「竜なのっ!?」

私は久々に聞くその音に、慌てて大空を仰ぎ見た。逆光になっててまだはっきりとは見えないけれど、舞い降りてくる大きな影は、確かに竜の翼の形をしている。

「えっ!?」

ゆっくりと目の前に舞い降りて来たその姿に私は愕然となった。だってそれは竜の翼を持った一人の女性の形をしていたから……。

アークの元へと舞い降りた彼女は、大きな岩を前にすると片手で撫でるように宙を払う。同時に岩が軽々と持ち上がり、そのまま真下へと落下していった。

「!?」

あまりにも信じられない光景に、私は動くことも出来ずに息を飲むだけだった。だけど信じられないことは、それだけじゃなかったわ。

彼女はゆっくりアークを膝の上へと抱き上げると、そっと顔を近付けた。同時に目を開けてられないほどの眩しい光が辺りを包み、私は思わず目を閉じてしまった。

「うっ……げほっ……!」

確かに止まっていたはずのアークの唇から苦しそうな息が漏れ始めた。驚いた拍子に目を見開き、思わずその光景を凝視してしまう。

「アーク!?」

信じられるはずもない光景に一瞬躊躇ったけど、確かにアークは息をしてるわ。規則正しく上下し始めた胸を見詰めて、私は彼に飛び寄った。

彼は……大丈夫です……。

「えっ? あっ?」

いきなり響いたその声に私は狼狽えた。ゆっくりと振り向く彼女と目が合ってしまう。

「……もしかして……貴女なの……?」

まさかと思いながらも話し掛けた言葉に「はい」という返事が響いてくる。

初めから……見ていました。いえ、彼が生まれる前からずっと、私はこの地を見詰めていたのです……。

するりと翼を消しながら彼女は答えた。濃い緑色の髪がそっと風になびく。

「じゃぁ何でもっと早く助けに来なかったのよっ!」

安心したのと同時に、冷静すぎる彼女の態度に私は涙が止まらなくなった。

「アークがっ……アークが可哀想じゃないのっ!」

詰め寄る私に、彼女は金の瞳を曇らせて寂しそうに笑った。

竜と人とは別次元の生き物。どんなに人界が荒もうとも、我らが手を貸すことは禁じられています。

「えっ?」

我らの世界から人界を覗くことは出来ます。しかしそこから手を貸すことは出来ない。丁度今のあなたと同じ状態です。

「………」

手を貸すにはこの次元へと来なければならない。しかし我らが住まう次元……神界と呼ばれる世界から人界へは一方通行。一度こちらへと来てしまうと、二度と向こうへ戻ることは出来ません。

「……そんな……」

神界に戻れなくなること……即ち天に戻れなくなることを堕天と呼びます……。そして禁忌を犯した罪深い竜を……魔と……。

消え入りそうに力なく微笑む彼女の言葉は、最後の方は聞き取れないくらいに細いものだった。

「でもそれじゃ……」

はい……私は元の世界に戻ることが出来なくなりました。

「何でっ? 何とかならないのっ!?」

焦る私に彼女は寂しく微笑む。

それが出来るのはただ一人。神と呼ばれる神竜様だけです。ですが堕ちてしまった娘を、あの方はお許しにならないでしょう……。

「そんなっ……」

ですが私は後悔などしてはいません。使えない力などあっても意味がないもの。見ているだけで何も出来ない口惜しい時間を過ごすより、ずっと……ずっと見詰めてきたこの人と、これからはこの地で生きて行きたいと思います。

ふわりと笑う彼女の頬に淡い色がさす。そして眠るアークを暖かな瞳で見詰めると、それは幸せそうな微笑へと変わった。

「……そうなんだ」

満足そうなその姿に、何も言うことが出来なくなってしまった。全てを理解しておいて尚、彼女はそれを選んだのね……。

さあ、あなたも自分の世界へと戻りなさい。あなたにも待っている人がいるのでしょう?

あっ、そうだわ。私にはライナスが待っている。私も戻らなきゃ……。

「アークは……大丈夫なの?」

最後に一つだけ、私は彼女へと質問をした。ふわりと暖かな風のように微笑んだ彼女は、頬を染めたままアークを見詰め続けている。

えぇ、一度途絶えた命も竜の血と混ざり合えば、共に生きる時間を共有できるようになります。

「……そうなの……良かったわ」

私は竜の世界と、その血に宿る力を知って、視界が広がる思いがした。竜は人を……アークを見捨てはしなかったのね……。

大きく深呼吸をしてからアークの顔を覗き込んだ。やっぱりライナスの顔をした彼が不幸になるのは嫌だもんね。

さぁ送りましょう。あなたにはあなたの大切にするべき人が居るはずです。

うん、そうね。私には私の世界があるわ。

立ち上がった彼女は優しく光る金の瞳で私を見詰めると、そっと囁きながら手をかざした。暖かな光で包まれた瞬間、最後に彼女の言葉が胸に届く。私の名はオリヴィア……私の子供達をよろしくと……。

そして私は遥かなる時の流れを感じながら、その光に誘われるようにそっと瞳を閉じた……。


 

[HOME] [TOP] [BACK] [NEXT]

 

© write All rights reserved.

 

inserted by FC2 system