傾国の姫君
しるし3-1 あなたの助けになる
ライナスの態度なんだけど、治るどころかもっと酷くなってる気がするんだけど……? 朝食も相変わらずサラダしか食べてないし、喋らないし、こっちも向かないし……。 軍の演習はちゃんと監督してたけど、お昼になって岩の宿舎に戻って来た時には、もうすでに機嫌が悪かったわ。 「今日も飛行練習してちょうだいね」 全くこっちを向かなくなったライナスに、私は一応にこやかに話し掛けてみた。 「……一人でもパメラに乗れると言ったのはお前の方だろう。今日からは自分で訓練しろ」 なによ、いつもは絶対駄目だって言うくせにっ。 表情を変えることもなく言い切られて、私は少し不貞腐れた。一人で乗るのは嬉しいけど、こんな状況じゃ喜べないじゃない。 「山肌は風が複雑なんでしょう? もっと練習しないと無理なんでしょう?」 席から立ち上がり外へと歩き出したライナスに回り込んで、その表情を窺おうとしたけど歩く速度を速められてしまった。 「ライナスったらっ!」 呼び掛けても返事なんてなかったわ。何なのよ? これじゃ機嫌悪いどころじゃなくて無視じゃないっ。 「もういいもん! 一人で乗るわよっ、ライナスになんて頼まないからっ!」 その言葉にも振り向かず、その背中は扉の向こうへと消えてしまった。 もうっ、私に悪いところがあったらはっきり言えばいいのよ。こんな態度ってあんまりなんじゃないっ? 置き去りにされた私は不貞腐れたまま振り返った。丁度真後ろに居たアルヴィアと目が合う。 「ライナスったらどうしたのかしらねっ」 「何か事情がお有りのようですが……」 不貞腐れたままの私と、出て行ってしまったライナスに気を使ってアルヴィアが困ったように言ったんだけど、事情なんて知らないわよっ。 「何も言ってくれないし、そんなの分かんないわよ」 話していた様子を黙って見詰めていたガイルの口から微かな溜息が漏れた。 「ガイルは何か知ってるんでしょう? 教えてよっ、このままじゃどう接していいのか分かんないわ」 それを見逃さなかった私はガイルに詰め寄った。 「……魔族には誰にでもこのような時期があります。竜の血を濃く引く者ほど大きく影響を受けるのですが、その期間も限られていますので、刺激せずにお待ちください」 静かに答えるガイルは冷静に見えたけど、何だか歯切れが悪い気がするわ。 「意味が分かんないんだってばっ。大体このような時期ってどのような時期なのよ? 刺激ってなに? 話し掛けるなってこと?」 食い下がった私をガイルが困ったように見詰めた。 「……それは王子に直接お聞き下さい。私から説明するものではありません。しかしお覚悟を持って理由をお尋ねされますよう。それが出来なければ、このまま静かにお見過ごし下さい」 な……なに? そんなに深刻なことなの? 語尾になって強まったガイルの言葉に、私は一瞬怯んだ。だってそこまで大変な事情だなんて思いも寄らなかったんだもの。 「姫様……」 ガイルの言葉で心配になったのか、アルヴィアがそっと近寄って来た。 「魔族……ってことは、ガイルにもそんな時期が来るってことなのね? その時ガイルは大丈夫なの?」 冷静なガイルまでおかしくなったらどうしよう……って心配になっちゃったわ。 「私は王子ほど竜の血は濃くありません。それに……弁えておりますので大丈夫かと……」 「?」 なんで最後はアルヴィアの方を向いて言ってるのよ? 魔族……っていうか竜の血ってさっぱり分かんないわ。 答えてもらっても疑問は増えるばかりだわ。解決しない問題に頭を抱えるより、今は飛行訓練を優先しよう。そう思い直すと私は外で待っていたパメラの元へと向かった。 空でも飛べば気分もスッキリするはずよねっ。 「パメラぁ〜お待たせっ」 その言葉に振り返ったパメラは、最近優しくなった瞳で私を見詰めてくれた。 「今日は一人だからあんまり高くは飛ばないわね」 そう言った私にクルルと返事をしてくれる。何だか「そうね」って返事をくれたみたいで嬉しくなった。 「じゃぁ山裾の森の辺りから、段々高度を上げていこうか」 そう言って手綱をゆっくりと引く。バサリと大きく羽ばたきをして、私達は大空へと舞い上がった。 「う〜ん、やっぱり下の方は緑の風が気持ち良かったわね」 一連の飛行訓練を終え、私達は山の中腹の辺りまで高度を上げていた。これくらいならまだ風は安全だし、私にだって楽に操縦出来る。 「あら? ライナスの隊が帰って来たみたいね」 山岳の向こうからアグレイヤを先頭に美しい列を作った一団が向かって来るのが見えた。不安定な時期だって言ってたけど、指揮するのには差し支えないみたい。 そう思って前方に目を戻した瞬間、パメラの背中がビクリと震えた。 「キ……キュ……キュー」 えっ? 何なの? 今までに聞いたこともない鳴き声。それと共に視界がグンと持ち上がった。 「ちょ……ちょっとっ、パメラっ?」 勝手に飛行し始めた彼女に焦った。そのままスピードを増し、グングンと演習場から遠ざかる。 「な……どこに行くのっ? 待って、戻ってっ!」 必死に背中を叩いたけど、彼女はキューキューと切ないような鳴き声を発するばかりで言うことを聞いてくれない。 その内高度を上げたかと思うと直滑降するような、不思議な行動を始めた。 「なっ! ちょっと危ないったらっ!」 垂直に上がったかと思うと、場所を変えつつ直滑降を繰り返す。その風圧に段々と手綱を握っていた手が痺れてきた。 「パ……パメラっ!」 握力がどんどんなくなっていく、このままじゃ振り落とされるわっ。 そう思ってパメラの背中にしがみ付いた時、後方から名前を呼ぶ声が聞こえた。 「ライナスっ!」 驚愕の表情のまま彼が駆け付けて来てくれてる。でもまた危険な飛行をしてるんだもの。戻ったら怒られちゃうかしら……って気を抜いた瞬間、パメラが大きく宙返りをした。 「きっ……きゃぁぁぁっ!」 握力の殆どをなくしていた私は簡単に空中へと放りだされた。 一瞬の浮遊感の後、急速に落下していく感覚。どっと流れ込んできた風の音に耳が潰れそう。そう思った瞬間、バサリと柔らかな羽の音と共にライナスに抱きとめられた。 「……まったくお前は……」 そう言うライナスの息が切れている。全力で駆け付けてくれたのかしら? よく見ると彼は自分の翼で飛行していた。 「ご、ごめんなさいっ、でも今回は私のせいじゃ……」 そう言った瞬間強く抱き締められた。柔らかな暖かさに恐怖から解き放たれ、自然と体の力が抜ける。そのまま私は彼へと腕を回した。 「……!」 やっと落ち着いたと思ったら、間近にあったライナスの表情が突然苦しそうに歪んだ。そう言えば不安定な時期だって言ってたっけ。 どうしたの? 大丈夫? って聞こうとした瞬間。ライナスの口から微かな呻き声が漏れた。 はっとして見上げた時、目の前にあった彼の金色の瞳が艶やかに光った。それと共に荒くなる吐息。それを我慢しようとしたのか、息を止めた瞬間、一度大きく体を震わせて彼の翼の動きが止まった。 「きっ! きゃぁぁぁぁっ!?」 又も始まった垂直な落下。私は彼に抱き締められたまま身動きすることも出来ずに、 向かい来る風圧と重力に意識を失ってしまった。 |
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