傾国の姫君

 

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しるし5-1 視界が広い


 

岩だらけの荒野を、ただひたすらにアークライトは歩いていたわ。

無言で歩き続ける彼に何度も話しかけてみたけど、返事がないどころか、私の姿すら見えてないみたい。その瞳はただ真っ直ぐに前を見詰めるだけだった。

一体どこまで行くのかしら……。

村を出てからもう五日は経っているわ。浮かんでいるだけの私は楽だけど、切り詰めた食料で歩き続ける彼は次第にやつれてきてる。

大丈夫なのかしら……。

そう思っていたら、彼の足が急に止まった。壁のように立ちはだかる大岩を見上げると、意を決したように深呼吸をする。

「神竜様……今……御許に……」

呟いた彼はそのまま岩肌へと手を伸ばした。

えぇぇぇっ!? もしかしてこの岩山を登るつもりなのっ!?

見上げるほどの大岩の上には更なる大岩が連なっている。それはここからは見えないけど、山頂まで続いているみたいだった。

ガラッ……ガラガラ……。

踏み出すたびに乾いた欠片が足元から落ちていく。

「あっ、危ないわよっ、止めた方がいいんじゃないっ?」

話し掛けても聞こえないんだったわ。だけど私は声を掛けずにはいられなかった。

この地方に雨は少ないのかしら。乾燥しきって脆くなった岩肌は簡単に崩れ、アークライトの足の下で乾いた音をジャリジャリと立てている。

だけど……いったい何日掛かると思ってるのかしら。こんな大きな岩で出来た山を、たった独りで登るなんて……。

薄く霞んだ山頂を見上げて私は気が遠くなった。それでも本当に登るつもりなんだわ。上る速度は一向に衰えない。私はそれを見詰めながら溜息をついた。

 

昼になり……夜になり……。登り始めて十日を過ぎた頃、アークライトの足がゆっくりと止まった。

止まった……と言うよりは、足が痙攣して立てなくなったみたい。少し広くなった足場まで来ると、彼はどさりと体を横たえた。

「神竜様……神竜様……」

彼は諦めるどころか何かを求めるように、近くなってきた空へと向かって一心に祈っていた。

大丈夫なの……?

疲れた体を引き摺るように、ここまでを登って来ていた。握力をなくした両手を懸命に握り締め、痙攣して自由にならなくなった足で踏ん張って。

「……っ」

その姿に思わず涙が溢れた。村のために、母様のために、彼は独りで戦っている。神竜が何者なのかは知らないけれど、ここまで必死に頑張って来たんだもの、きっと願いは叶うはずだわ。

「大丈夫よ、神様なんだもの、きっと願いを叶えてくれるわ」

私の声なんて聞こえないんだって知ってる。だけど声を掛けずにはいられなかった。

「頑張って、頑張って」

私は励ますようにライナスそっくりの顔を覗き込んだ。その瞳は揺らぐことなく、ただひたすらに頂点を見詰めている。

大丈夫。まだ彼は諦めてなんかいないわ。

そう思った時、彼の体が起き上がった。そしてまた一歩ずつゆっくりと岩山を登り始める。

もう止めろなんて言わないわ。頑張って、あなたは独りなんかじゃない。私がちゃんと付いてるから……。

体力はとうに限界を超え、ただ信念のみで登り続ける。その脆くも力強い歩みを、私はひたすらに見詰め続けた。

 

それから既に三日が経ったわ。山の八分目くらいにはなってたけど、背負っていた食料が入ってる袋はもう大分萎んでいる。

「大丈夫……なのかしら……?」

草木一本生えていない山の中で、食料が尽きる……という事は……。

間に合うのかしら……。新たな不安が過ぎりだした。この世界に実体がない私は平気だけど、生きている彼にとっては……。

この分だと今から下りたって麓まで食料が持たないわ。もしも辿り着けなかった時彼を待っているもの、それは……。

ぞくりと背筋に悪寒が走った。実際に残りの量を知っている彼は、とっくに覚悟を決めてるのかしら。

「そんなことっ、いけないわっ!」

思わず叫んでいた。聞こえないけど、今からじゃどうしようもないけど……。

どうしたらいいの? どうしたらいいのっ?

自分が食べなくても平気だから気付かなかった。もっと先に止めるべきだった。声は聞こえないし、姿は見えないけど、だけどっ……。

焦ってオロオロしていた私の耳に、突然激しい崩落音が聞こえてきた。

驚いて振り返ると、アークライトの足元がガラガラと大きく崩れ落ちている。

「なっ!?」

私はすぐに飛び寄った。だけど崩落は収まらず、それはとうとう彼が足を乗せている岩にまで到達した。

「きっ、きゃぁぁぁぁっ!」

ガラガラと激しい音と砂埃にまみれて彼の体が宙に舞う。慌てて手を伸ばした私の腕を突き抜けて、彼の体は落ちて行った。

「アーク! アークッ!!」

何でなのっ!?

やっと収まった崩落と埃の中で私は必死に彼の姿を探した。砂埃の煙で中々見通しがきかない。

「アーク、どこっ!?」

収まりかけた煙幕の中、やっと彼の茶色の髪の色を発見した。

「アークッ!」

慌てて飛んで行ったけど、そこにあった彼の姿は……。

「いっ……いやぁぁぁぁっ!!」

大小の岩に挟まれた彼の体は、足も手も有り得ない方向に曲がっていた。絶叫と共に涙が溢れる。

何でっ!? どうしてっ!? こんな事があっていいのっ!?

私はパニックになりながら彼の足に乗っている岩に手を掛けた。力一杯押そうとしても、腕はその岩を貫通してしまう。

「なんでなのよっ! 何で触れないのっ!?」

悔しくて、悲しくて私は何度も岩に手を掛けた。だけど掌には何の感覚もなく、ただ虚しく宙を切るだけだった。

「誰か、誰か助けてっ! 誰かぁっ!!」

泣き叫んでもここには誰もいない。そんなの分かってる。だけどっ、だけどっ……!

「……うっ……く……」

微かな呻き声と共にアークの瞼が薄く開いた。

「アーク!?」

私は彼の元へと飛んでいくと、その苦しそうな表情を窺った。

ゆっくりと首だけを動かして、彼は自分の体を見詰める。そしてその状態に気付いたのか、彼の口の端が僅かに歪んだ。

「うっ……っ……」

途端に漏れ出した嗚咽と共に溢れる涙。砂と埃にまみれた頬を、絶望の冷たい涙が流れていった。

「アーク、アーク……」

その光景に私も一緒に泣いた。だけど一番悔しいのは貴方よね……。

止めどなく流れ出る涙を拭おうと、何度も何度も彼の頬を撫でた。だけど収まらない涙を拭いてあげることも出来ないなんて……。

近付いた彼の顔はライナスそのものだった。少し冷たい感じがする、引き締まった凛々しい造り。その顔で、泣かないで。その顔で……絶望しないで……。

「っ……!」

胸の奥がズキンと痛んだ。息苦しさに胸元を押さえる。

次の瞬間ハッとして見詰めた彼の顔、そこは既に涙は止まり、呼吸さえも……止まっていた。

「いやぁっ! 駄目よっ! しっかりしてっ! 目を開けてよっ!」

慌てて揺さ振ろうにも体を通過する虚しい腕。どうしたらいいのっ!?

「ちょっとっ! ここは神竜の山なんでしょうっ!? こんな事があっていいのっ!?」

思わず大空へ向かって叫んでいた。魔国には沢山いた竜の存在が、今はこんなにも遠いなんて。

「神竜っ! いるんでしょっ!? 助けてよっ! それが出来なくて何が神よっ! 認めないわよっ! 助けてよっ! 助けてっ! 助けてったらぁぁぁっ!!」

最後は絶叫になっていた。涙と共に風に舞う叫び。その断末魔は天高く大空へと消えていった……。


 

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