傾国の姫君
特徴7-1 「だって、だってね…」
チチチ……。 「う……ん……」 微かな小鳥の囀りと共に、私は目を覚ました。 「うわっ、寒っ」 同時に感じた朝の冷気に身を震わせて、そのまま掛け布団の中へと潜り込む。 「ん……」 その振動で寝返りを打ったライナスの顔が、私の顔のすぐ前へと落ちてきた。 「ふぐぐぅ〜!」 きゃぁぁぁっ! って叫び出しそうになる声を、両手で口元を押さえ必死に堪える。 ずしん。その直後、潜り込んだ布団の上から押さえ付けられるような重みがして、私はそのまま硬直した。 まさか……。 早朝の光は頼りなく、まだ室内を明るくはしてくれてない。しかも私はベッドの中に潜り込んでいる状態だったから、ここからではその重みが何なのか確認する事は出来なかったわ。 だけど……いや、きっとライナスが被さってるのよね。 最悪の事態に息を飲んだまま、私は目の前で安らかな寝息を立てるライナスの顔を睨み付けた。朝っぱらから何てことしてくれるのよっ。 「………」 だけどその気持ちの良さそうな顔を見詰めた瞬間、怒りさえもどこか彼方へと吹き飛んでしまったわ。 思ったよりも長い睫毛や少し薄めの唇。その中心には美しく通った鼻梁がある。初めて会った結婚式の時も美形だと思ったけど、やっぱりライナスって整った顔してるわよね。だけどその美しさは女性的なものじゃなくって、凛とした意志の強さが現れたみたいに、理知的なものに見えるわ。 「………」 見詰めながらぼんやりと、出会った時のことなんて考えていたもんだから、いつの間にか目を覚ましたライナスに気付く事ができなかった。 「ひぃっ!」 彼は目の前の私に困ったように微笑んだままだったけど、私なんて驚きすぎてベッドから転げ落ちそうになっちゃったわよ。 「暴れるな」 そう言って腕を引っ張られて落下するのを助けてもらう。それと同時にさっきよりもしっかりと抱き締められてしまった。 ひぃぃー! 心の中では汗だくになりながら叫んでいるのに、何故だか体は硬直したまま動かない。それを観念したと思ったのか、ライナスの腕の力が少し緩んだ。 「このままでは寒いだろう。火を点けてやる」 キシリという僅かな音の後、ライナスの口元から小さな炎が現れた。ふよふよと宙を漂う蝋燭ほどの炎は、ライナスが軽く手を振ると部屋の隅にある暖炉まで導かれるように飛んで行き、そのまま燃え広がった。 暫くしてパチパチと薪のはぜる音と共に漂ってくる暖かな温もり。それを感じた時ライナスの腕がゆっくりと解かれた。 「リーナ」 「え……?」 慌てて起き上がった私を見詰めたままライナスが不思議そうに瞬きをする。 「ここに来て半年になるが、少し成長したみたいだな」 「え?」 突然のことで言っている意味が分からなかったわ。だけどライナスが自分の手を見詰めたまま言っているのを見て何となく理解できた。 「あ……身長? そう言えばちょっと伸びたかも知れないわ。ここに来る時に持ってきたドレスの裾が少し短くなっていたから」 そう言う私にライナスは少し困ったような顔になって言った。 「それも……だが、女性らしく成長してきたと言ったんだ」 「そう? まだ成長期だから、これからもっと伸びるかも知れないわね」 何となく誉められたような気がして、私は暖かくなった室内で着替えを手に取った。 普通の女性だったら、抱き締められた後にそんなこと言われたら怒るのかも知れないけど、異性との接触が乏しかった私はそのままの言葉の意味としてしか捉えることしか出来なかった。 「………」 まだベッドの中で複雑な顔をしたままのライナスを置き去りにして衝立の後ろへと回ると、私はいつものように着替えを始めた。 「精神的にはもう少し成長が必要なようだな……」 溜息と共に漏れた言葉にも気付くことなく着替えを済ませると、私は着ていた夜着を畳みながらライナスへと尋ねた。 「今日も相変わらず会議なの?」 「朝食の後からは謁見だ。会議は午後からだな」 「相変わらず忙しいのねー」 今日もびっしりと詰まっているだろうスケジュールに、私は自分の事でもないくせにうんざりとした顔をした。 「皆も今日からは忙しいぞ。越冬のための準備があるからな」 「えぇ?」 「魔国の冬はどこよりも厳しいんだ。収穫時期は越冬のための準備期間でもある。ガイルは軍の、グレイムは城の越冬準備を始める頃だ」 「そうなんだぁ」 じゃぁこれからは自分達だけで勉強しないといけないのね。そう言ったらライナスがベッドを降りながら 「もう充分一人で古語を理解できるようになっていると参謀総長が言っていたぞ」 と言ったわ。 「うん、まぁそれはね……」 難しい単語だったら辞書を引けばいい事なんだし、自分一人でだって出来るけど。 「お前には才色兼備の強い侍女が居るだろう」 「うん」 アルヴィアの事を言われたんじゃ無理とは言えなくなったわ。私は大きく頷いてから朝食を取るために寝室から廊下へと出た。
「ねーねー、今日はこの辺にしておかないー?」 朝食を済ませて勉強部屋へと来た私は、もう何度目になるのかこの言葉を繰り返していた。 「駄目です。まだ今日の分の半分しか進んでないではありませんか」 む〜う。 相変わらず生真面目なアルヴィアの顔を、口を尖らせたまま睨み付けると、私は渋々読みかけの本へと視線を落とした。 「だってー、作法の本なんてつまらないんだもーん」 ブツブツ言う私に 「一国の姫君が、御作法が分からなくてどうしますか」 と厳しい口調で言う。 私が集中できない理由は、本の中身が退屈だという理由の他に、ガイルが居ないということもあった。それに……。 「あ、また人が通ったわよ」 「集中してください」 越冬の準備なのか何なのかは知らないけれど、今日の城内はいつもと違う慌しい雰囲気が漂っていた。 「ほらほらまたっ!」 「姫様!」 この会話も何度目かの繰り返したわ。 「じゃぁ今日の分が終ったら好きにしても構わないのね?」 そう言う私にアルヴィアは困ったように頭を傾げると、 「仕方ありませんね」 そだけ言ったわ。 「じゃぁさっさと片付けちゃいましょう!」 現金な私の言い分に呆れたように溜息をついたアルヴィアを放っておいて、私は急いでで本を読み進めた。 「見てっ! 今日の分、ちゃんと終ったわよっ!」 言うが早いか、ガタンと椅子から立ち上がって廊下へと飛び出して行く。その後姿にアルヴィアが呆れたように口を開いたのは言うまでもなかった……。 |
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