傾国の姫君

 

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特徴8-3 「………」無言で抱きつく


 

この国で学んだ事。それはまず何といったって古語よね。

遥か昔から神竜に通じるといわれてきた“神語”でもある古語。それを覚えたことが私にとって唯一の『学んだ事』だった。

だけど古語なんて、この国の人達は普通に話してるじゃない。学んだ事がたった一つだけだという事を寂しく思いながらも、私は勿体ぶったように口が堅い婆様へと向き直った。

「古語はなんとか分かるようになったわ。だけどそれだけじゃ……」

「ほう、古語を使えるようになったことが“それだけ”だと思うのか?」

しわしわにひび割れた唇から唐突に言葉が漏れたわ。だけど私はどうして婆様が言葉を遮ったのか理解する事ができなかった。

「ところで、この国に人間はそなた達しか居らぬ。その人の目で見てきた魔国をどう思う?」

急に問われた内容に、私はきょとんと目を丸くした。

「エルネスタと……そう変わらない気がするわ。お城は大きくて広いし、通って来た城下町も人が沢山いて活気があったし……」

「では、そなたの国で“魔国”はどう思われておる?」

「それは……」

決して良い印象ではないから、私は答えに困って息を詰まらせた。

「……火を噴きながら空を飛ぶ、竜を操る野蛮な種族が住む、辺境の国だと……」

「姫様……」

考えても仕方がないからそのまま素直に答えた。そんな私を気遣うようにアルヴィアが声を掛けてくる。

「よい、分かっておる」

気分を害した風でもなく、静かにアルヴィアを制した婆様が改めて私の方を向き直ると、意味深げにじっと顔を覗き込んできた。

「先にわしと城で会った時の事を覚えておるかの?」

「お……覚えてるわよ」

「そこでわしは何と言った?」

「え……と、確か私が来てから宝の玉に不吉な色が浮かび始めたとか、審判が近いとか。あと、私がこの国に来ることに反対したとかね」

思い出すに連れてまた腹が立ってきたわ。そういえばいきなり散々な言われ方をしたわよね。

「その話は後ほどしよう。他には何を話したのか覚えておらぬのか?」

えっと……。

私はう〜んと頭を抱えて記憶を辿った。だってここで思い出せなかったら、いけ好かない婆様に負けるような気がしてならないんだもの。

「あっ、そうそう人間と魔族の仲が悪いって話もしたわね」

「そこじゃ」

「え?」

満足げにゆったりと座りなおした婆様の様子に、私は反射的に小首を傾げた。相変わらずこの婆様って何を考えているのか掴めないわ。

「坊の為に何かがしたいと言うのならば、人間であるそなたにしか出来ぬ事があろう」

「………」

言われて初めて私はその事に気付いた気がしたわ。それが何なのかはまだはっきりとはしないけど。

「古語を学んだ今の自分に出来る事を考えることが必要だの」

「今の自分……?」

「そうじゃ。何もかも全てを行おうとするのは、器を知らぬ愚者の行為。己の力量を見極めることが先決じゃの」

魔国にいる唯一の人間である私に出来ることって……。

私はエルネスタにいるお兄様の顔を思い出しながら考えを巡らせた。そういえばお兄様にも「架け橋になれ」と言われてたっけ。人間と魔族の隔たりをなくすこと。それがこの国に嫁いだ意味なのかしら……。

考え込んだ私を見詰めていた婆様が、ゆっくりと身を屈めた。急に近付いたその表情が真剣過ぎて、何だか怖いわ。

「それともう一つ。古語を習得した今のそなたになら読める物がある。レオノラ、有翼の神託をこれへ」

言われたレオノラが婆様の後ろにある大きな棚のところへと向かった。そして最奥に大切そうに仕舞われている木箱を手に持つと、静かに古びた机の上へと置く。

「これは二十年以上も前にわしに賜れた神託じゃよ」

埃まみれの薄汚れた箱の中から一巻きの古い紙を取り出すと、婆様がゆっくりと差し出す。私は疑問に思いながらも縛ってあった小さな布切れを解くと、それに目を落とした。

「……?」

古い紙にはぎっしりと文字が書き連ねてあったわ。それは神託を賜れた日付だったり状況だったりしたけれど、私は最後に書いてあった言葉に息を飲んだ。

「これって……!」

「そう。坊が生まれる前に宝竜玉に現れていた神託じゃよ。そなたにも賢者の予言があったと聞くが、同じように坊にも神託が下されていたのじゃよ」

私は初めて知った事実に愕然と口を開いたままだった。だってその内容って……。

「審判の時、災厄と引き換えに有翼を差し出せ……ってライナスを差し出せってことなのっ!?」

「この国に有翼は坊だけしか居らぬ」

しゃがれた声でボソリと聞こえたその答えは、肯定する響きだった。

「な……そしたらライナスはどうなるのよっ!?」

「宝竜玉に現れぬことは、わしには分からぬ」

溜息と共に漏れた言葉は、どこかしら突き放したように聞こえたわ。私はその言い方に腹が立って、目の前に静かに座ったままの婆様に食って掛かった。

「なによそれっ!? 肝心なところは分からないなんてっ! 大占者なんでしょう!? 今からでも占ってよっ!」

飛び掛らんばかりに喚く私を、慌ててアルヴィア止めに入る。だけど私は今まで感じていた憤りをそのままぶつけた。

「大占者なんて言って偉そうにしてるけど、結局何も出来ないんじゃないっ! 不吉な事ばかり予言したって、回避する方法も見付けられないんじゃ、何も出来ないのと同じよっ!」

「姫様っ!」

興奮して言い過ぎた私の腕を、アルヴィアが強い力で引っ張った。だけど分かって。不吉な予言をされた本人が、どれだけ苦しむのかってことを……。

怒りのままに涙が溢れてきたわ。だけどこの婆様の前で泣くのが悔しくて、私は懸命に唇を噛んで涙を堪えた。

「……勇ましき姫よ。そなたも“救う者”であると同時に、坊の名もまた“救う者”なのじゃよ」

そんなの、分かってるわよっ!

何を今更言っているのか分からずに、私は婆様の皺だらけの顔を睨んだ。

「救いの名を持つ者に、この国は救われるのかも知れぬ。しかし重い枷を背負って生まれてきた者達だけが犠牲となるのを、わしも善しとは思わぬよ」

そう話す婆様の瞳には、今までとは違って寂しそうな影が落ちていた。それって……?

「だがの、そなた達が“救う者”であるのと同じく、わしは“導く者”であるのに過ぎぬのだよ。その時が来なければ何も出来ぬ、老いた婆に変わりない」

自嘲気味に聞こえた声に、私ははっと顔を上げた。皺だらけの瞼の奥に光っている瞳は悲しみの色を湛えて揺れているわ。もしかしたら、分かっていても何も出来ない己の無力さを嘆くのは、この人も同じなのかしら。

「婆様……」

今まで静かに話を聞いていたレオノラが労わるように婆様の隣へと歩み寄る。そして静かに口を開いた。

「この神託は国中に広まっております。ライナス王子が有翼であるという稀有なる価値と共に、民が王子に救いを求めるのは、神竜の翼があるからです。有翼であることも宝竜玉に現れた神託も消せぬ事実。しかし生まれながらに予言を背負ってきた姫様にならば、そのお気持ちが分かるのではありませんか?」

「……痛いほど……分かるわ……」

怒りが冷めて落ち着いた胸の中に過去の自分の姿が蘇った。不吉な予言と共に忌み嫌われるのも不幸だけれど、過剰な期待を寄せられる重圧は、どれほど苦しいものだろう。

いつも静かに私を見詰めてくれているライナスの顔を思い出した途端、噛み締めた唇から嗚咽が漏れそうになった。それを必死で堪える。涙も溢れ出しそうで、今の私の顔はきっとぐちゃぐちゃなはずだわ。

「何が起こるのか分からぬ今は、何も出来ぬ。それは誰とて同じ事。災厄が訪れる前に防げるのならば何でもしておる。どうなるのかも分からぬ事を、今から気に病んでも仕方がない事。それよりも今の自分に出来る事を考えることが必要だとは思わぬか?」

言われた言葉は私を諭しているようで、決して押し付けるような響きではなかった。何も出来なくて悔しいのは、私だけじゃないんだわ。婆様と一緒にいるレオノラも、そしていつもライナスと共にいるガイルもきっとそうなのね。

「……今、やれるだけの事をするわ」

そう言った私の頭を、初めて婆様の枯れた枝のような指が撫でた。

「そう思えたのならば、ここに来た意味があったというものだの」

そう言った婆様の瞳が、細く柔らかく歪んだ。いつも難しい顔をして分かり辛いけれど、今の婆様が私を導いてくれようとしているのは分かる。

「お城に帰ってから、私に何が出来るのかをもう一度考えてみるわ。さっきは取り乱して御免なさい。ここに来て良かった、ありがとう」

立ち上がった私と一緒に、枯れてギシギシと音を立てそうな婆様も立ち上がる。

「城まではレオノラに送らせよう」

「あの……また……ここに来てもいい?」

振り返った私の胸くらいに婆様の頭がある。それがゆっくりと上下するのを確認してから、私はお昼が過ぎてしまった太陽の下へと扉を潜った。

「私もね、ライナスが大切なの。失いたくなんかない。だから頑張るわ」

そう言って振り返った私に伸びてきた、枯れ枝のような腕。それに無言で抱きつくと、婆様からぼそりと「神竜の御加護がありますように」と漏れた。

ここに来て色んな事が分かった気がするわ。自分に何が出来て、出来ないのかも。そして皆がライナスの事を心配してるってことも。

私には私の出来る事、私にしか出来ない事がきっとある筈。

そう胸の中に強く思いながら午後の日差しが差し込む森の中へと歩き出した。


 

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