傾国の姫君
特徴2-2 「ダメじゃん」「勉強するから!」
「駄目ですね。また間違ってます。さっきお教えしたばかりでしょう」 昼下がりの静寂な小部屋に、静かだけれど強い声が響く。 「うぅ〜」 目の前に置かれた本には、小難しい神語で書かれた短いお話が載っていた。 私はその本と睨めっこをしながら、一行一行を訳していた。 「これくらい読めないと、とても公式な文書など読めませんよ?」 眉間にしわを寄せたガイルって、本当に気難しく見えるわ。 「お母さん、子供、渡す、お弁当?」 う〜ん。 「分かったっ! お母さんは子供にお弁当を渡しました。でしょう?」 何となく理解が出来て、私は自信満々にガイルに言った。 「単語を見て連想するのは良いのですが、ちゃんと接続詞を読めるようにならないと……」 溜息混じりに吐き出された言葉には、脱力を感じるわ。 「……姫様。一番最初の“朝”が抜けております」 「わっ分かってるわよっ!」 ついでに後から一緒に習うようになったアルヴィアの方が、覚えが良いのは何だっていうのかしら? 私は不貞腐れて持っていたペンをガジガジと噛んだ。 ここ数週間、私達はお昼過ぎから夕食の時間までガイルに神語を習うようになっていた。 文法は殆ど変わらないから覚え易いんだけど、そもそも単語が違うからそれを覚えるのに大苦戦中よ。しかもこの緊迫した空気感が嫌なのよねぇ〜。早く夕食にならないかしら? 「姫君、集中しないと覚えられませんよ? それに以前お渡しした単語帳もまだ半分も進んでいないでしょう」 まだ明るい窓辺をウンザリしながら眺めていたら、静かだけれど威圧感のある声で叱られた。 「う……」 「これでは王子の枷の話どころか、姫君の好きな『創国記』さえも、ご自分では読めませんよ? そもそもあの絵本は我が国では五歳児位が……」 「あーもうっ! 分かってるわよっ! ちゃんと勉強するからっ!」 本で顔を隠しながら、長くなりそうなお説教を無理矢理遮断する。 「子供……の? 名前……は? リコ? リコは畑の? 仕事な? お父さんに、お弁当を届けます?」 ガイルが何かを言う隙を与えずに、文章の続きを声に出して読んだ。 ちらっと盗み見てみたアルヴィアの顔が何か言いたそうだったけど、それに構ってる余裕なんてないわ。 「惜しいですが、語尾が全て上がってますよ? もっと自信を持って読めるようにならないと」 言いながらも肩を揺らして吹き出しそうになっているガイルを睨み付ける。 「何よっ、笑わなくってもいいじゃないっ!」 必死で勉強してるのに、あんまりだと思わない? 不貞腐れたままの私と、困った様子のアルヴィア。それに怖いくらい真剣に教えてくれてるけど、たまに吹き出しそうになるガイルと共に、今日も神語の勉強は順調に? 進んでいったわ。
「勉強はどうだ?」 「うっ……」 一番触れて欲しくない話題を唐突に出されて、アークに食べさせていた火竜草を握り潰しそうになっちゃった。 「え……あ、まぁボチボチよ」 ハッキリとしない私の答えに、ライナスの表情が柔らかく変化する。 「急に神語を習いたいと言い出したのには驚いたが、飽きずに続けているのにも驚いたな」 「とっ当然よ、私はヤルって言った事はヤル人間なのよっ」 声が上擦っちゃったけど自信満々に胸を張って見せた。 「ガイルは厳しいが、教え方が上手いだろう? 今まで軍を教えてきているからな。これからもじっくり教わると良い」 じっくりって……。今でも厳しーく、じーっくり教わってるって言うのに。 って、言いたかったけど、これ以上この話を続けたら折角の夕食が不味くなっちゃうわ。 「姫様に書簡が届いておりますが……」 半分不貞腐れたままトマトを食べていた私に、グレイムさんが封筒を渡してくれた。 「あら、この印って……」 見覚えのある蝋印を見詰めながら、ゴソゴソと開封をする。そこには久しく感じる見慣れた文字が並んだ手紙が入っていた。 「久し振りだな、リーナ。元気にしているか?」 あぁ、やっぱり普通の文字は読み易いわっ! なんて思いながら続きを読む。 「お前が嫁いでから半年近くが経ち、季節も冬に近付いているな。魔国の気候は厳しいと聞くが、日々を健やかに過ごしているだろうか?」 もうそんなに経つんだっけ? 毎日何かしらバタバタしてたから気が付かなかったわ。 「祖国の兄上からか?」 まるで兄様の性格そのもののように、綺麗な文字できちんと並んだ文章を見詰めていたら、ライナスから声が掛かった。 「前に戦で壊れた町も、今は復興したって書いてあるわ」 そう言うとライナスの口から「そうか」と安心したような声が漏れた。 「お前がこの国に来てもう半年か」 「早いわね」 そういえば最近アークったらまた急に大きくなって、火竜草を更に沢山食べるようになったわ。今は猫位の大きさだけど、まだまだ子竜みたいで、お腹いっぱいになると途端に眠り始めちゃうの。 そんなアークを膝の上であやしながら、何だか懐かしい気分になってしみじみとしちゃったわ。 「……蜜月も空けて久しい事だし、一度祖国に遊びに帰ってみてはどうだ?」 「えっ?」 突然の提案に驚いてライナスの顔を見詰める。 「そろそろ国境付近の巡回時期だ。その日はガイルも一日戻れないからな。神語の勉強もできないだろう」 そうなんだ……でも……。 「パメラには乗れないからな。その日は大竜でグレイムに送らせよう」 「うん……。じゃぁ一日だけエルネスタに遊びに行こうかしら?」 ちょうど勉強にも嫌気が差してきた事だし、気分転換にはいいのかもね。そう決まると何だか急に待ち遠しくなっちゃったわ。 「お土産は何が良いかしら?」なんて考えながら、私はその日から来週が来るのを心待ちにするようになった。 |
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