傾国の姫君

 

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特徴1 「待って待って」追いかける


 

私がこの魔国に嫁いで来てもう四ヶ月。城下に広がる緑だった森の景色はすっかり色付いて、美しい紅葉を所々に見せるようになっていた。

 

元々魔族は傷の治りが早いっていうのもあるけど、ライナスは傷跡一つ残らないで、今はもう以前のように元気な姿に戻っていたわ。

それはそれで安心したんだけど、問題はその後だったわ……。

 

「もうっ! ライナス待ってよっ!」

急ぎ足で廊下を歩いて行くライナスの背中に向かって、私は怒鳴った。

「待って! 待ってったらぁっ!」

一向に緩まない歩調に、苛々が最高潮に達した。

「何で無視するのよっ! 感じ悪いわねぇっ!」

腕を掴んで睨み上げる。だけど見上げたその顔はむっつりと不機嫌なものだった。

「……急な呼び出しだ、遊びに行く訳ではない」

そんなの分かってるもん!

「だからって置いて行かなくてもいいじゃないっ、私も一緒に行くわよっ!」

その言葉を聞いたライナスの唇から深い溜息が漏れた。不機嫌な様子を見ると、嬉しい呼び出しじゃないって事は分かる。だけどそれが何なのか気になった。

でも私だっていつもこんな我侭言ってる訳じゃないのよ?

蜜月を明けた途端にライナスへの訪問者が増えて、最近軍の演習の時以外は構ってくれなくなったんだもん。

今日も呼び出しがあって、今からそこに向かう途中なんだけど、今回はいつも来客と会話をする、謁見の間じゃなかった。「内密な事」とかいう内容らしくて、執務室に使っている小部屋へと向かう途中なの。

「内密な事」なんて、何だか秘密っぽくてワクワクするじゃない?

妃なんだからって同席の許可が下りて、前に面白がって謁見の間での会話に同席したことがあったの。だけど公の場で、古語で交わされる話は全く理解出来なくて、全然面白くなかった。途中でうっかり欠伸をしちゃって、ライナスとガイルに睨まれたっけ。

それ以来謁見の間に興味がなくなったから同席はしてないんだけど、今回は「内密な事」って言うし、執務室だって言うしで、退屈していた私には丁度いい刺激だと思ったわ。

「今回はリーナ様も御同席ですか?」

先に来て執務室の前に立っていたガイルが、私の姿を見るなり眉をひそめた。

「なぁに? ダメなの?」

その態度に腹が立って睨み返す。

「いえ、その様なことは御座いませんが、内密との事なので、どうか今から聞かれる内容は他言無用にてお願い致します」

そんな、いちいち念を押さなくたって分かってるわよっ。

無言で睨み合う私達に、走って来たアルヴィアが声を掛けて来た。

「姫様、急にお姿が見えなくなりましたので……」

あっ、アルヴィアに言って来るの忘れてたわ。いつも訓練しているアルヴィアが息を切らせてるってことは、よっぽど探して走り回ってくれたのね。

「御免なさい。ライナスの姿が見えたから付いて来ちゃった」

そう言った私の後ろから長い溜息が聞こえた。振り返るとガイルが目を細めてアルヴィアの事を見詰めているわ。

なに? その目? 何だか痛々しそうなのは気のせいかしら?

疑問に頭を傾げていると、長い廊下の向こうからゆっくりと影が近付いて来た。

「これは、もう皆様お集まりか。遅くなって申し訳なかった」

黒に近い緑色の大きな布で全身を覆っている、あからさまに怪しい人物。

頭に被ったフードの間から聞こえるしゃがれてひび割れた声からは、この人が男なのか女なのかさえ分からなかったわ。

ゴクリ。

異様な人物の登場に、私は緊張して唾を飲み込んだ。

「執務室はこの奥です。そこでお話を……」

ガイルがゆっくりと促して、皆で部屋の中へと入る。真ん中に置かれていた大きなソファーに対峙して座ると、緊張感がその場を包んだ。

「……で、婆様。話とは」

婆様ということは女の人だったんだわ。私が驚いていると、じっと皆の顔を見詰めていた婆様がゆっくりと頭の布を取った。

その顔は深いしわに覆われて、古木のように干乾びているわ。魔族は長生きだって言うけど、本当にその辺の木々と同じ年みたいに見える。

「待たれよ、今見せてやるからの」

大きな包みからゴソゴソと取り出したのは丸い玉。複雑に煌めいて何だか不思議な物体だわ。

「それは……?」

思わず尋ねてしまった私に、婆様のしわが一層深くなった。でも気分を害したのか笑ったのかさえ、深すぎるしわで分からなかったわ。

「……人間界から来たおなごは知るまいが、これは宝竜玉という。この国に二つとない占いの道具じゃ」

てことは、この人は占い師なのね?

古語交じりで返って来る会話は分かり辛いわ。しかも表情も複雑で読めないし。

「門外不出の宝玉を、わざわざ持参するほどの事が起きるのか?」

尋ねたライナスの顔を覗き込むように見詰めた婆様は、ゆっくりとしゃがれた声を出した。

「……坊よ。わしは人間のおなごを妃にすることを、あれ程反対したであろう」

えっ?

「……その話は終ったことだ。今回はそんな話じゃないだろう」

むっと目を細めたライナスが、占いの婆様を睨む。でも、反対されてたって何の話?

初めて聞く内容に驚いてしまう。だけど私が歓迎されてなかったんだってことは分かったわ。

「見よ、この玉の不安定で不吉な色を。そのおなごがこの国に来た時から始まっておるわ」

揺ら揺らと、まるで自我を持っているかの様に複雑な色を絡み合わせる玉は、時々沈んだ暗い色を発している。

「……それがこいつのせいだとでも言いたいのか?」

低く呟くような声でライナスが言った。彼がさっきから不機嫌だったのは、この婆様に呼び出されていたからかしら?

「今まではの、理由は分からなかった。だがそのおなごがこの国に来て以来、日を追おう毎に不吉な色が強く現れ始めたわい」

じろりと睨まれた気がして背筋が冷たくなった。婆様の曇った金の瞳が、一瞬キラリと光ったような気さえしたわ。

「のうおなご。知っておるのか? 魔族が人間達から迫害された歴史が長いという事を。その人間を妃に迎える、坊の立場が危うくなるという事実を」

「それはこいつには関係のないことだろう!」

私が呆気にとられていると、荒くなったライナスの声が響いた。

「……人間がこの国に嫁ぐということが、どれだけの事か知っておるのか?」

「婆様!」

バン! という音が響いた。ライナスが怒ってテーブルを叩いたからなんだけど、私は驚いたままで動くことが出来なかった。

「遅かれ早かれ耳に届く話じゃろうて。だがの、お前にそれが乗り越えられるのか?」

ライナスからの怒声にも怯む事のない落ち着いた声で、婆様から問い掛けられる。

「私……私は生まれた時から迫害されて、幽閉されて育って来たわ。真実は違ったけど、十六年間そうして生きて来た。この国で何を言われても、私には帰る場所なんてないの」

「この国の民がお前を厭うてもか? 呪われし伝説の姫君よ」

これまでのことを説明して穏便に済まそうかと思ったけど、流石にその言葉にはカチンと来てしまったわ。

「だから真実は違ったって言ったじゃないっ! 大体何なのよっ? 昔から占い師とか大賢者とか大っ嫌いなのよ! アンタ達の勝手な予言のせいで、こっちがどれだけ被害を受けてると思ってんの?」

大人しくしてたけど、この婆様の態度は最悪だわっ!

私は今迄の怒りのままに更に言い募った。  

「人間からの迫害ぃ? 国交がないんだからお互いに理解なんて出来るわけないじゃない! 誤解されてるって思うなら、この国を開いて、もっとちゃんと説明すればいいのよっ!」

ハァハァ、一気に喋って息が切れちゃったわ。

「ほっほっほっ、勇ましい姫君じゃて。だがの、お前にそれが出来るのか? 簡単にはいくまいよ」

「そんなのやってみなきゃ分からないじゃないの!」

どこまでも挑戦的な瞳に腹が立つわ。

「お前を予言した賢者をわしも知っておるがの、人間にしては優れた術者だったわ」

え? あの頭にくるジジイを? 流石長生きだわ。

「後々意味は違えたが、お前は“救う者”だろう。幼き頃より見守って来た、坊と同じ名を持つ者。ならば救ってみせよ。この国を、そして今迄の歴史を。さすれば民も納得するじゃろうて」

な……なんだか大袈裟な婆様だわ。だけどここで私も怯むわけにはいかない。

「まっ、任しといてよっ。これだけ大層な予言が付きまとう位なんですもの。私にも何か出来るかも知れないじゃない。その時が来たら頑張るわよっ」

そう言った私を婆様の落ち窪んだ瞳がじぃっと見詰めた。もう一度キラリと光ったかと思うと、深く息を吸う。

「ではその言葉を信じ、占いの結果を託すとしよう……」

吐き出された言葉に、皆息を詰めたまま聞き入る。張り詰めた緊張感が部屋中を満たした。

「……審判の時が近い。栄えるも滅ぶも神の御心次第である……」

……何だか意味深で怖そうだけど、これから何かが起こりそうって事だけは分かったわ。

「人間のおなごよ。重い枷を背負って生きてきた坊を苦しめるでないぞ。そしてこの国と民を救うのじゃ。その為ならわしはいつでもお前を導こう」

そう言いながら見詰めてきた婆様の瞳は、優しいものだった。

「え…?」

間違いかと思って見詰め直したその顔は、既に布の中に仕舞われてしまった後だった。

「わしの名はマルゴ・バルツァー“失われし時、導く者”わしも自分の名に翻弄される一人にしか過ぎぬ……」

最後に布の奥から漏れてきた言葉は、自嘲気味て聞こえたわ。だけど言われた言葉の数々が重過ぎて、私はこれ以上聞き返すことは出来なかった……。


 

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