傾国の姫君

 

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しるし9 「任せて」といえる自信


 

「お具合も随分と良くなられましたので、そろそろ密月を明けては如何かと……」

ライナスの容態が安定して寝室を一つに戻した私達に、グレイムさんが言った。

「蜜月……?」

聞き慣れない言葉に私は眉を顰める。

「結婚したばかりの一定の期間を、我が国では蜜月と言うのですよ。その時期は二人の時間を邪魔しないよう、誰もがその家を訪問しない仕来りなのです」

ふぅん?

「……蜜月も何もないのだがな……」

急に肩を落として溜息をついたライナスの顔を見詰める。

それを見てグレイムさんも困ったような、悲しい顔をした。

そんなだと皺が深くなっちゃうわよ? でも何の事なのかしら……?

「蜜月が開けたらどうなるの?」

この国の仕来りを全く知らない私は、困りきっているグレイムさんに聞いてみた。

「一番初めに訪問するのは、大抵は新郎の両親だと決まっておりますので、魔王様と御后様がいらっしゃるかと思います」

「えっ?」

そう言えばまだ一度もお会いした事なかったわ。

「そうなのっ? それは是非お会いしたいわっ!」

その一言で今後の予定が決まった。魔王様が御来城されるのは来週の半ばという事になった。あぁ、その時が待ち遠しいわっ。

 

「お前は変わっているな」

アークに火竜草を食べさせていた私に向かって、ライナスが言った。

「何が?」

「魔王との謁見だぞ? 恐ろしくはないのか?」

「何で?」

「普通人間は魔族を恐れるものだろう」

「………」

そう言えばそうね。でもここに来て四ヶ月よ? 魔族なんてもう慣れちゃったわよ。そもそも私とアルヴィア以外、周りに居る人は全員魔族じゃない。

「魔王様って言っても、ライナスのお父様なんでしょう? だから別に怖くはないわよ」

食べ終わったアークが寝そうに欠伸をした。寝る子は育つって言うから、寝る竜も良く育つのかしら?

「それはそうだが……お前は人間にしておくのが勿体無いくらいに度胸があるな」

半分呆れたようにライナスが言う。それって誉め言葉なのかしら? エルネスタでは絶対に使わない言い回しに、笑いが込み上げてきた。

「……別に食べられる訳じゃないんだし、楽しみだわ」

そう言った私に向かってライナスも「そもそも竜は草食だ」と言って笑った。

不安定な時期を越え、ライナスとの穏やかな時間が戻って来た。以前よりも身近に感じる存在に、私は知らずの内に喜びを感じるようになっていた。

 

 

 

「さぁ、お次はこれを」

も〜ぅ、またなのぉ?

どこから湧いてきたんだろうってくらいに、侍女が増えたわ。そしてお昼からの魔王様との謁見に備えて、私は朝から着せ替え人形になっていた。思ってたより一大事みたい。

「リーナ、入るぞ」

不貞腐れたまま何着目かの着替えを睨み付けていた私の元に、ライナスがやって来た。

「……似合うな」

「じゃぁこのドレスで決まりね」

ライナスの言葉を助け舟に、今着ている薄いピンク色のドレスに無理矢理決める。……正直助かったわ。

「そうそう、ライナス。会食にアークも連れて行っちゃ駄目?」

いきなり言った私の言葉に、侍女達の手がぴたりと止んだ。やっぱりダメだったかしら?

「……幼い竜は母親から離れられないからな……仕方ない、良いだろう」

頷いたライナスに、今度は侍女達の顔が驚きに変わった。いったい何なのかしら?

「では後で迎えに来るからな」

そう言って部屋を出て行ったライナスの姿を見送ると、侍女達が一斉に溜息をついた。

「……素敵な方ですよね……ライナス様……」

まだ歳若い侍女が夢見るような目をして呟いた。それを嗜めるようにアルヴィアくらいの侍女が叱る。

「え……?」

私は不思議に思って若い侍女を見詰めた。同じ位の歳かしら?

「す……すみません、つい……」

慌てて頭を下げる彼女を見て、私の方こそ恐縮しちゃったわ。だってどうして謝られるのか分からなかったんだもの。

「え? いや、あの……?」

「……恐れながら、ライナス様はこの国の女性の憧れなのですよ」

私の髪を結い始めたアルヴィア位の歳の侍女が、固まっている若い侍女に代わって答えた。

「え……? そうなの?」

「軍を率いる凛々しいお姿と、神竜の印を持つ資質ですもの、皆が憧れるのは当然の事ですわ」

「この国に居て、あの方に憧れない者はおりませんわ」

「ですが、冷たいまでに他者を寄せ付けない雰囲気をお持ちですもの。今までに影で泣いた者は数知れませんわ」

指輪にピアスにネックレス……装飾品を持ってくる侍女達が口々にライナスを褒め称える。

……要するにモテるってことなのね?

「……ですが、今まで異性に興味を示さなかったライナス様が后を持たれ、その姫を寵愛なさってるなんて……夢のようですわ……」

ネックレスの金具を止めていた侍女がうっとりと言う。

「……寵愛って……そんなんじゃないって思うけど……?」

言った私を侍女達全員が疑いの目で見つめてきた。な……なによ?

「まぁ! あのようにお支度を気遣って頂きながら?」

「何も御用ではないのに伺うなんて、今までのライナス様では考えられない事なのですよ?」

「謁見に子竜を同伴なんて、御無理を聞き入れて頂いたのに……」

いきなり始まった非難がましい言葉に私は狼狽えた。

「よ……よく分からないけど、今迄のライナスからしたら凄い変わり様なのね?」

言った私の言葉に、侍女達の肩が一斉にガクリと落ちた。その後に「はぁ〜」という溜息すら聞こえる。

まっ、まぁでもアレよ、確かに何度も助けてもらったし、直々に竜の乗り方も教えてもらってるし、大事にされてるって思うわよ。

「わ……私もライナスのこと大切だって思ってるから心配しないで」

半分苦し紛れだったけど、その言葉に侍女達の機嫌も良くなったみたい。

「私達の憧れのご夫婦になって下さいね」

結い終わった髪にティアラを乗せて、若い侍女が頬を染めながら言った。

「え……わ……分かったわ」

ライナスが不機嫌だと不安だし、怪我をした時なんて本気で心配だった。私だってちゃんとライナスの事大切だって思ってるわ。

未だに夫婦という実感はないけど、アークがライナスの顔で絶望の涙を流した時は、本当に胸が張り裂けそうなくらい痛かった。そして今の穏やかな時間を幸せだとも思うわ。

「ライナス様は御兄弟もおられず、お独りでした。お寂しいこともあったかと思いますが、これからも宜しくお願いいたしますね」

全体のバランスを見ながらグレイムさんくらいの歳の侍女がゆっくりと言う。

ライナスも……独りだったんだ。

この前まで私だってそうだった。兄妹が居たって会うことも叶わなかったわ。閉じ込められていた私を解き放ってくれたのはライナスと父様だったわよね。

「任せて」

独りの寂しさだったら、私にも分かるわ。自信を持って言った私の言葉に、侍女達の目が嬉しそうに細められた。

「お支度が終わりましたのでライナス様をお呼びして来ますね」

そう言って一人の侍女が部屋を出て行く。

でも多分、ライナスは寂しくはなかったんじゃないかな……。

私はここに来るまで気付けなかったけど、こうやって心配してくれる人達が周りに沢山居るってこと、ライナスだったら気付いていたと思う。

さぁ、御父様と御母様にやっと会えるんだわ。私は立ち上がると、迎えに来たライナスと共に部屋を出て行った。


 

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