傾国の姫君
しるし2-2 これくらいで諦めない
一体何なのよ? 夕方になり、食事をしている最中にも、ライナスは私の顔を見ようともしなかった。食も細く、いつものギザギザした葉っぱのサラダしか食べていない。 「……大丈夫なの? ライナス」 尋ねた私にも「あぁ」としか返事を返さない。不安に思ってアルヴィアの顔を窺ったけど、彼女も小首を傾げるばかりだった。 「寝室の準備が整いました」 後から入って来たグレイムさんが静かに報告をする。それに頷いて立ち上がったライナスは、結局私を一度も見ないまま部屋を後にして行ってしまった。 「……喧嘩でも……なさったんですか?」 食事が終わり、アルヴィアが心配そうに尋ねてきた。 「してない……つもりなんだけど、何だか今日はずっと苛々してるのよね……」 不貞腐れて唇を尖らせた私の首の付け根に何かを見つけて、アルヴィアが指を差した。 「姫様……飛行中に怪我でもされましたか?」 「え? どこもぶつけてないわよ?」 不思議に思っている私達の元にガイルが近付いてきた。彼はそのまま私をじっと見詰めると、何かに気付いたように軽く頷いた。 「王子は特に御病気という訳ではありませんが……竜の血を強く引く者として不安定な時期に入られたようです」 説明してくれても、その意味が分からないわ。でもそれ以上に尋ねてもガイルは「後は御本人にお尋ねください」と言うばかりで答えてはくれなかった。
一人きりになった寝室で私は膝を抱えていた。そう言えば……この国に来てから一人で寝ることなんて初めてだわ。 ゆらゆらと揺れる燭台の炎。別に寂しいとかいう訳じゃないけど、様子がおかしかったライナスの状態が気掛かりだった。 今まで理由も言わずに一方的に怒ることなんてなかったわ。それに何だか戸惑ってる感じもするのよねぇ。 「明日どうしたのか聞いてみようかしら……」 病気じゃないのなら、明日になったら普通に戻ってるかも知れないわね。 そう決めてベッドから起き上がると、部屋の隅にある燭台の炎をそっと吹き消す。 闇が訪れた薄暗い室内に安らかな寝息が響き始めた。それを照らす青く輝く月が、もう一つの部屋から漏れる悩ましい溜息を静かに見下ろしていた……。 眠れずに何度も寝返りを打った後、諦めて起き上がる。乱れた前髪をくしゃりと掬い上げ、露になった金の双眸には、思い詰めたような暗い色が影を落としていた。 「………」 薄く開かれた唇から、今日何度目になるのかも分からない溜息が漏れる。 うっすらと開かれた瞳は艶やかに煌めき、同属の女性ならば堪らない程の甘い香りが、彼の周囲を取り巻いていた。 「始まったか……」 気だるげに吐き出された言葉にも甘い芳香は潜み、室内に充満していく。忌々しげに舌打ちすると、ライナスは自らの身を恨むように一人ごちた。 「まだ早いというのに……」 己の体の変化にはもう気付いている。パメラの産卵期が近いということは、彼女の発情期が始まるということだ。 以前乗り手であった彼にも、それは少なからず影響を及ぼす。竜の心に引き摺られ、主人の発情をも促してしまうのだ。 竜の血を濃く引くライナスにとって、それは確実なものであった。しかも最近はリーナと共にあったため、パメラに近付き過ぎていた。 「止めなければ……」 己の血を恨んだことは一度もない。今までも発情はしてきたが、抑欲剤を飲む事により押さえ込んできたのだ。 しかし今回は今までとは勝手が違った。必死で耐えているつもりが、体が勝手にリーナを抱き締め、所有の印を落としたがる。 自分の意に副わない身勝手な感情に苛立ちさえ覚える。 今までに好意を寄せた女性など周りには居なかった。それどころか魔族の中に居てさえ、王族という近寄りがたさと、最近では稀に見る濃い竜の血を引く証である「有翼」という希少性が、自分の存在を孤高のものとしていた。 その自分が発情期の間、人払いをするとなると、誰一人として近付いて来る者などいなかった。 今までそうやって耐えてきたのだ。今回も大丈夫だと内心自信があった。それなのに……。 「……情けないものだな……」 自嘲気味に溜息をついて、ライナスはベッドに寝転がった。 今朝もリーナが部屋を出た後、抑欲剤を飲んでいたのである。それなのに心引かれる存在が目の前にあるというだけで薬は効き目をなくし、、体が勝手に反応をする。 ごろりと寝返りを打ってライナスは瞳を閉じた。瞼の裏にリーナの明るい笑顔が浮かぶ。それだけで口元がほころぶのを止めることが出来なかった。 こんなにも……魅かれているのか……。 温かくなった胸の奥に激しい炎が宿っていた。改めて自分の中にある感情に驚く。今までには経験したことのない激情が自分の心を燃やしていたのだ。 だからこそ、この感情は押し殺さねばならない。暴走する前に食い止めなければならない。やっと隣で眠ることに慣れてきた、初々しくも愛しい彼女のために……。 人間に発情期などないことは知っていた。人々は愛情でのみ、その行動を起こすものだ。だからこそ彼女の愛情が欲しかった。激情に流されて奪って良いものではないのだ。そんな事をすれば永遠に彼女の心を失ってしまうだろう……。 明日からはもっと距離を置く事にするか……。 これは情けない自分自身に課す試練だ。 名残惜しい気持ちはあるが、感情を制御出来ない以上は止む負えない。こんなにも魅了され、惑わされているのは情けない自分自身なのだ。 そう心に決めるとライナスは体の力を抜いた。しかし疼く肉体と痛む胸を抱えて、中々寝付くことは出来なかった……。
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